広葉樹・針葉樹

●以下は、ぐりーん&らいふ2013年夏号に掲載された報告「広葉樹と針葉樹」です
  

  

適地・適機能林で役立つ森づくり―針葉樹と広葉樹の両方を生かす


 相変わらず広葉樹を望む声が大きい。海岸林の再生でも広葉樹の人気は高い。白砂青松はそんなに問題なのだろうか。なぜ、そのように広葉樹は人気が高いのだろうか。一方で人気はなくとも、建築材としてはスギやヒノキに代表される針葉樹が活躍している。そこで、広葉樹と針葉樹について考えてみることにした。   

  

 現在はどこに行っても広葉樹と針葉樹は入り混じって見られるのが、生態学的に広葉樹林となると日本では暖温帯に見られ、シイ類やカシ類に代表される常緑広葉樹林(いわゆる照葉樹林)と、冷温帯に見られるブナやミズナラ、カエデ類などの落葉広葉樹林がある。一方針葉樹は広葉樹と混交して存在することが多く、スギ、ヒノキ、モミ、ツガ、マツ類などの他は一般に高標高地(亜高山帯)に自生するものが多い。   

  

適地適木の混交林と共生

 「適地適木」は植林の大原則であるが、森と共に生きてきた日本人は森の機能を生かすために長い時間をかけて適地に適機能林を育てるようになった。それが薪炭林を含む江戸時代のモザイク状の里山の林相であった。その中にはスギやヒノキ(「青木」と呼ばれた)の森もあった。また、海岸にはクロマツの林を造成した。これらは適地に適木かつ適機能を考えて植林した結果だった。  そうした中で江戸時代後期にはスギやヒノキを植栽する林業が各地に生まれた。その時以来つい最近まで、ある程度まとまった面積に植栽する樹種のほとんどはスギやヒノキなどの針葉樹であり、本来広葉樹林で占められていた地域にも針葉樹林が急速に進出した。その理由は、スギとヒノキが日本で最も重要な資源であったからに他ならない。  地下資源を大量に利用するようになる以前、日本人は地表の鉱物資源すなわち土と石と、生物資源、特に木材を利用して暮らしてきた。手に入れやすく、運びやすく、加工もしやすい木材はもっとも頼りになる資源であり、しかも唯一のエネルギー資源であったからだ。さらに森林バイオマスを農用に利用したこともあって「日本人は森に“頼って”生きてきた」とも言えるのであるが、利用する樹種を選択する際の要件として、燃料材はともかくとして、構造物や道具の材料としては「加工しやすい」ことが重要な要件の一つであった。   

  

杉、檜で育った木の文化

 この点でもっとも適した樹種がスギであった。スギは冷涼な東北地方から温暖な九州地方南部までの各地に広く分布しているが、昔から植栽されてきたためその自生地については不明な点が多いという。その材の性質は、針葉樹が一般的に持つ通直性に加えて、他の針葉樹と比べても軽く、割りやすく、したがって極めて加工し易い。さらに心材は耐朽性もある。  そのため、建築材(柱材や建具材、特に板材として利用された。磨き丸太のような特殊なものもある)や船材、家具材ばかりでなく、樽や桶などは必需品として日本人の生活の隅々でも使われた。また、できあがった製品は木目や色合いという視覚面とやわらかい手触りでとても親しみやすい。こうして半世紀ほど前までは私たちの身のまわりはスギ製品で埋められていた。さらにスギは半陽樹とも言え、植栽による更新がその成長にとって有利であるうえ、他の針葉樹よりも成長も速い。虫害などにも比較的安定である。そのため、もともとの広い分布もあって、アキタスギ、ヨシノスギ、ヤナセスギなど数え上げればきりがないほど多くの品種、林業地が各地に存在、発達した。  一方、ヒノキもスギと並んで重要視された。その分布は福島県から南であるが、南限はスギと同じく屋久島までである。その存在形態もスギと同様で、多くの針葉樹、落葉広葉樹、暖温帯では多くの常緑広葉樹と混交しているうえ、やはりスギと同じく加工しやすい。さらに辺材・心材ともに淡い色合いで光沢や芳香があり、何よりもたわみや曲げに強いので古代より社寺などの建築材として活用され、その後もその首座を占めてきた。また、土木材、家具材、器具材、曲げ物材など、その用途もスギと同様に広い。そして、スギよりも成長は遅いが、乾性土壌に対する耐性を持つので、中腹から尾根を中心に広く植栽される造林樹種となった。昨年亡くなられた北村昌美先生(山形大学名誉教授)は、「スギ・ヒノキがなければ、日本の木の文化はこれほどまでに育たなかっただろう」と言っておられた。   

  

針葉樹植林で林相が一変

 このようにスギ・ヒノキを中心とする針葉樹は、燃料資源を除くと、過去の日本では極めて重要な資源であり、天然林資源が枯渇し始めた江戸時代中期以降、各地に植栽林業が発達した。そして、一般的には沢沿いや山麓にスギ、中腹にスギとヒノキ、尾根近くにヒノキを植栽した「人工林」が成立していった。  明治時代になると資源・財源としての針葉樹の重要性はさらに高まり、所有のあいまいな入会地までも人工林化する政策が採られた。さらに第二次世界大戦後も、戦後復興や高度経済成長もあって、地下資源の本格的利用が始まったにもかかわらず木材の需要は衰えなかった。奥山の天然林の大面積皆伐後に拡大造林と称してスギ、ヒノキ、カラマツ等の植栽が進んだ。こうして単純一斉林としての人工林が、里山と奥山とを問わず、日本の植生を一変させるほどに広がっていった。スギ・ヒノキ人工林が日本の「森林」の代表的光景となったのである。こうした森林では広葉樹は雑木と称して低木まで排除された。現在でも少なからぬ人々が「森林」=「針葉樹の人工林」と思っているようである。確かに、整然と成長した人工林は捨てがたい美しさを持っている。   

  

環境保全で天然林見直し

 しかしながら、高度経済成長期を境にこうした人工林に対する人々の不満が爆発した。その先頭を切ったのは自然保護運動である。自然林とそこに棲む動植物の保護、特に貴重な動植物の保護運動から始まったこの運動は、折からの公害や国土開発への反発、都市環境の悪化と相まって、環境保全運動の要素も含んで急速に拡大していった。また国土保全の面からも、乱暴な林道の開設や皆伐で、幼齢林に表層崩壊が多発したこともあって単純一斉林にも批判が強まった。いくら有用なスギ・ヒノキとは言え、どこでも適地と言う訳にはいかない。また、私たちには広葉樹林や混交林も不可欠である。水源涵養の面でブナ林の優位性が強調されたことも人々の広葉樹林志向を後押しした。その後、地球環境問題の顕在化にともない生物多様性の喪失が懸念されるに及んで、広葉樹が多い自然林(里山の二次林も含む)や天然林への要望がさらに高まった。  こうして20世紀の終盤には、いわば環境保全面での森林の機能に対する国民の要望の高まりを受ける形で森林管理のあり方が全面的に見直され、2001年に木材生産機能と生物多様性保全、地球温暖化防止、水源涵養、山地災害防止などの環境保全機能や森林の文化機能を森林の「多面的機能」として同列に扱い、「森林整備の第一目的は森林の多面的機能の持続的発揮である」とする森林・林業基本法が成立したのである。  その後も地球温暖化は進行し、生物多様性喪失の懸念も払拭されていない。一方で里山の農用林や薪炭林が放棄され、林業の不振は長引き、間伐促進対策が講じられたにもかかわらず間伐遅れの人工林がまだ残っている。それぞれ個別の対策は進められているものの、国民は「森林は荒廃している」との印象を持ち続けている。それが漠然と「人工林すなわち単純一斉林は災害を引き起こし、生物多様性にも欠ける」との印象と結びついて、いまも自然林すなわち広葉樹林への願望が強く残っているのであろう。  私は、里山の森林の酷使によって江戸時代以降に荒廃・劣化が進行した山地・森林について、その復旧・回復を図るために発達した治山・砂防事業の技術面に関わる研究・教育を専門としてきた。そのため、かつての山地荒廃を二度と繰り返してはならないと強調してきたが、一方で日本人はそれほどまでに森林資源を利用し尽くすことによって江戸時代にもこの狭い列島に3,000万もの人が暮らし、その技術と文化を発展させてきたことも評価している。明治時代以降に西洋科学技術文明をいち早く取り入れ、発展させた日本人の能力は、木を使う技術と文化によって磨かれてきたのではないだろうか。  いま私たちは地下資源を大量に使用して地球温暖化などの地球環境問題を引き起こしている。持続可能な社会では、できる限り森を使って温暖化や大気・水域・土壌の汚染の根源である地下資源の使用を減らさなければならない。   

  

日本人の知恵を生かして

 そこで私は「役に立つ森づくり」を提唱している。すなわち森林を護る森と使う森に分けて管理し、全体として森林の多面的機能を持続的に発揮させるのである。使う森の中心の針葉樹人工林でも、生物多様性の保全や山地災害の防止、水源涵養機能の発揮などは技術的に可能である。森を使って発展してきた日本人は森を“うまく使っていく”義務がある。それが日本人の使命であるとも思うのである。「生物多様性保全や地球温暖化防止、水土保全などのためには森は伐らないほうが良いですね」などとどうして言えるのだろうか。  このように、広葉樹も針葉樹も共に有用である。海岸のマツ林も理由があって植えられたものである。適地に適木・適機能林を保全し、造成する「役に立つ森づくり」を積極的に進めて広葉樹も針葉樹も共に生かしてもらいたい。それが森林の多面的機能を持続的に、しかも高度に発揮させる21世紀の森林管理である。   

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