林野公共事業の事業評価

●以下は、ぐりーん&らいふ2017年春号に掲載された報告「いま森林・林業に思うこと 林野公共事業の事業評価」で、おもに林業関係者にお読みいただきたいものです。
  

  

費用対効果分析を知っていますか?


 公共事業で新しい事業を計画するときには事前評価を行ってその事業を実施するか否かを決めることになっている。その際、必ず適用される「費用対効果分析」と呼ばれる評価法がある。本稿では林野公共事業で使われている費用対効果分析手法について考えてみる。   

  

事業評価の始まり

 一般に企業の経済活動では、投入した費用に対して得られる利益(金額)がどの程度になるかを予測して、採算が合えばその経済活動すなわち事業の実施を決定する。一方国等の予算で行う公共事業では、事業に投入される予算に対して得られる効果すなわち便益は、その大半が社会にとって有益なサービスである。例えば河川に道路橋を架ける事業では、社会が得られるものは建設された橋そのものではなく、橋を通行する車や人が便利になるというサービスである。また得られるものは当然金銭ではないので、支出した予算額に対して金銭的な収入額は0である。そのため当該公共事業の有効性を判断するためには、投入する予算に対して得られるサービスの価値(便益)を金額に換算して予算額と比較しなければならない(通常その比率を費用便益比あるいはB/C(BバイCと読む)と称している)。先の道路橋の例では、車や人の通行量を予測し、その経済効果を金額に換算して予算額と比較する。
 この作業は「費用対効果分析」あるいは「費用便益分析」とよばれ、日本の公共事業では1997年頃から新規事業の採択時(事前評価)に導入された。林野庁でもこの時から林道関係事業で費用対効果分析への取り組みが始まっている。
 その後、2001年に「行政が行う政策の評価に関する法律(政策評価法)」が制定されて本格的に公共事業に事業評価が行われるようになった時点から、私は林野庁の費用対効果分析関連会議にかかわるようになった。2001年は森林・林業基本法が制定され「森林の多面的機能」という概念が確立した年でもある。現在、事業評価は「事前評価」、事業実施期間中の「期中の評価」、事業終了後に行われる「完了後の評価」に区分され、林野公共事業全般で実施されている。   

  

森林の多面的機能は金額評価が困難

 事業評価の中で最も重要なのは言うまでもなく新規事業の採択時に実施される事前評価であり、計画している事業の効果を定量的・定性的に分析してその効果を予測する。その中核的手法が費用対効果分析であるが、そのためには事業の効果を可能な限り貨幣化して予算額と比較する必要がある。
一方、林野庁が行う森林整備事業や治山事業は森林の多面的機能の価値を高める事業である。例えば、直接的には木材を増産する目的の林道整備事業であっても、整備された林道によって木材生産林以外の林地の管理も容易になり、地域の人々の交通も便利になる。森林セラピーや森林レクリエーション利用の機会も増える。つまり林道整備事業は木材生産便益のほか森林整備経費縮減便益や森林の総合利用便益ももたらすのである。また治山事業によって海岸防災林を整備する事業でも、津波、高潮、飛砂等の災害防止便益のほか海浜生態系の保護による生物多様性保全便益や林内散策等による保健休養・レクリエーション便益などが期待できる。
したがって、これら森林の多面的機能の価値を評価する必要があるが、市場(取引)が存在する木材生産便益については増産が見込まれる木材生産量が予測できればその効果は市場価格によって金額に換算できる。また、災害防止便益や各種の経費縮減便益はそれぞれ推定される被害費用や縮減経費からその効果を貨幣評価できる。しかしながら水源涵養便益や山地保全便益、環境保全に関わる大半の便益などは市場が存在しないため、それらの効果の貨幣評価は困難であった。   

  

環境経済学の手法

 そこで導入されたのが、いわゆる公害など「市場での取引」という通常の経済活動では解決できない“企業による環境悪化の損害”をどのように貨幣評価して当事者に弁償させるか等の問題を解決するために始まった“環境価値を評価する研究”の成果である。
例えば森林には多様な機能があるが、水源涵養や土壌保全、地球温暖化防止などの機能は森林の環境価値であり、通常その価値を金額で評価するのは困難である。特に森林生態系が持つ生物多様性保全の価値を金額で評価するのはほとんど不可能であると思われていた。このように貨幣評価が困難な環境価値を工夫して評価する研究が1980年代になって次々に発表され、環境資源の管理を主なテーマとする環境経済学が誕生した。「生態系サービス」や最近強調されるようになった「自然資本」の考え方もそこから発展したものである。   

  

環境価値を貨幣評価する方法

 費用対効果分析において、市場が存在しない環境価値を貨幣評価する方法として主に用いられている方法は大別すると二種類ある。一つは人々の経済活動から得られるデータをもとに環境価値を評価する手法であり、もう一つは人々に環境価値を直接たずねることでその価値を評価する手法である。
前者の一つはトラベルコスト法と呼ばれ、レクリエーションに関わる環境価値を評価する場合に用いられる。例えばある森林公園を一年間に訪問する人の人数を予測し、それら訪問者の旅行費用を算定することによりその森林の当該価値を評価する方法である。
前者のもう一つは代替法と呼ばれ、例えば水質浄化便益の場合、同様の機能を持つ雨水浄化施設や上水道給水施設などの代替財に置き換えたときの費用で評価するものである。しかしこの方法は論理的な弱点を持っていると言われている。さらに地域的アメニティなどが評価可能な、地代や賃金をもとに評価するヘドニック法と呼ばれる方法もある。
後者の代表的なものは仮想市場法で、通常CVMと呼ばれ、生態系や景観など多様な環境価値の評価が可能な方法として現在盛んに用いられている。この方法はアンケートを用いて環境の値段を評価するもので、例えば、「○○の森を開発する計画があります。この森は△△などの絶滅危惧種が生息する貴重な生態系です。あなたはこの森を護るためにいくら支払ってもよいですか?」と質問し、その「支払い意思額」をもとに〇〇の森の生態系の価値を評価するのである。   

  

費用便益比が事業実施の重要な指標に

 上述の事例で示したように、林野公共事業の費用対効果分析では森林の多面的機能を環境経済学の成果を用いて分析し、費用便益比すなわちB/Cの値を予測している。林野公共事業の各種事業評価便益のうち水源涵養便益及び山地保全便益の全てと環境保全便益の大部分は代替法、環境保全便益のうち保健休養便益はCVMで評価している。また、生物多様性保全便益と漁場保全便益でも原単位の推定にCVMを適用している。さらに、森林の総合利用便益のうちのフォレストアメニティー施設利用便益の一部(利用確保便益)でもCVMを適用して原単位を推定している。   

  

費用対効果分析のあり方

 事業評価は必要性、効率性、有効性の観点から総合的に評価して実施するとされているが、日本の事業評価の事前評価では費用対効果分析の結果すなわち費用便益比(B/Cの値)が事業を実施するかどうかの重要な指標とされ、その値が1以上であれば基本的にその事業は妥当なものと評価されるようになった。しかし費用対効果分析の結果は事業の効率性にかかわるものであって必ずしもこの結果のみを重視するのは適切ではない。費用便益比が1以上であっても便益の受益者が偏っていれば公共事業の公平性の観点から問題がある。その他の理由もあって数値の大小で事業の優先度を決めるは危険である。事前評価はあくまでも必要性、効率性、有効性、さらには公平性の観点から総合的に判断するものであり、実際にも費用対効果分析を踏まえた総合的なチェックリストによって適切に判断しようとしている。
 現在の林野庁の費用対効果分析手法は2001年の日本学術会議の森林の多面的機能の評価に関する答申をベースに作成されたものである。その後、炭素固定便益や生物多様性保全便益の調査・検討をもとに改良されてきたが、この間の環境経済学の発展や社会情勢の変化を考慮するとそろそろ全面的な見直しも必要だろう。現在検討に上っている課題としては長期にわたる事業の評価に関する社会的割引率の問題や代替法のより合理的な利用の問題がある。林野庁の費用対効果分析手法の精度がさらに上がり、林野公共事業の適切な実施に貢献するよう願っている。   

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