想定外の災害

●以下は、『Sabo』2016年夏号に“巻頭言”として掲載された文書です。
  

  

「想定外」と土砂災害


 また「想定外」の熊本地震が発生した。私たちばかりでなく地震学の専門家も信じていた「本震は最初に発生するもの」という想定が覆され、4月14日の震度7(マグニチュードM6.5)は本震ではなく、約1日遅れて発生した震度6強(後に震度7に訂正、M7.3)が本震であったと気象庁が発表したのだ。「本震は最初に発生するもの」という想定がなかったら、最初の強い地震の後「もっと大きな地震が来るかもしれない」と身構えて、本震の被害をもう少し小さくすることができただろう。
 2011年の東北地方太平洋沖地震による巨大津波被害が思い出される。あの時も気象庁は最初、津波の規模は3m程度と予測していた。連動型の海溝型地震は想定外の出来事だったのだ。昨年9月の鬼怒川の洪水氾濫災害でも二、三の想定外が起こった。特に堤防決壊の翌日、決壊現場から10qほど離れた常総市役所に置かれていた災害対策本部が水没したことが市民ばかりでなく市の関係者にとっても想定外だった。

 私は想定外にもいくつかパターンがあるように思う。第一はこうした自然現象がまだ十分に解明されていないために起こるものである。物理学や化学などの物質科学の原理に基づくものつくりの技術に比べ、地球科学や生命科学にかかわる現象は複雑なので、現代科学による解明はプレート・テクトニクスの理論やDNA二重らせん構造の発見以降の高々半世紀ほどの経験しかない。つまり、たった50年ほどの知識の積み重ねでしかないのである。私たちはまだ何も知らないと言ってもよいかもしれない。したがって、想定外の災害はこれからも起こりうる。警戒・避難の重要性を改めて認識せざるを得ない。

 第二は常総市の洪水氾濫のように、地域の人々が過去の経験を忘れてしまったために想定外となってしまうパターンである。この場合は地域の歴史に基づく防災教育や防災訓練で回避できるので、近年自然災害に襲われた経験を持たない地域でも早急にその体制を構築して、このような想定外を皆無にすべきである。最近国交省は想定しうる最大規模の降雨に基づく洪水浸水想定区域を次々に公表している。これは地域社会が忘却した過去の経験を思い起こすのと同様の意味があると思われる。

 ところで、砂防事業で扱う大規模崩壊や土石流は豪雨の際には毎年のように発生するので、通常は想定内の災害と思われている。しかし、被災する場所が山腹の狭い範囲や一つの渓流の下流部(あるいは小さな沢の出口)など局所的であるうえ、その候補地となりうる土砂災害危険個所はある程度予測されているが、具体的な一つの豪雨や地震の際にすべての危険箇所が被災するわけではなく、そのどこかが被災するわけで、現在の防災科学では実際に被災する箇所を特定できない。そのため、実際に被災した住民にとっては想定外の出来事になってしまう。被災した人は必ず「この場所は今まで崩れたことがなかった」というようなこと話す。
 彼らの経験は高々二、三世代の間の経験でしかないのに対し、ある特定の山腹や渓流において大規模崩壊や土石流が発生するのは数百年あるいは数千年に一度という程度である。したがって、普段から防災を意識していない多くの人々にとって土砂災害はほとんど想定外の災害になってしまう。激甚土砂災害の重要な特徴の一つとして理解しておきたい。このような状況から、砂防の世界では以前からソフト対策、とりわけ警戒・避難の重要性を強調してきたのである。

 想定外が起こる要因はほかにもある。一つは地球温暖化などによる気候変動によって想定外の気象現象が発生する可能性があることである。その他にも私たちの社会の変化、特に開発あるいは土地放棄による土地利用の変化などが考えられる。したがって、土砂災害、洪水氾濫、津波などのほか、火山災害、豪雪、高潮、竜巻なども含めて、予知・予測技術のさらなる向上とともに、想定外を十分意識した「防災施設の設置と警戒・避難対策」の充実が今後の基本方針となるだろう。
 近年の激甚災害の多発を思うと、それらの防災対策を半世紀の経験しかない科学技術の知見のみに頼ってきたのが誤りだったのかもしれない。一方で私たちと自然との付き合いは農耕社会になってからでも2000年を超える。その間の知見を積み重ねた地域の経験こそ50年間の科学技術より確実な部分もあるだろう。警戒・避難に関しては、もう少し日本人が自然との固い結びつきの中で暮らしていた時代の経験に学ぶべきだと思う。私たちはその経験を生かして多重防御を進めるべきである。   

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