簡単な解説:
現在の日本の森林を“豊かな”森と表現する意味は、100年前(50年前でも良い)の森の姿を正確に知れば分かるはずである。その頃の日本には、途上国で現在見られるような荒廃した森林が里山を中心に広がっていた。
解説:
森林・林業に関心がある読者ならば、過去半世紀の間に日本の森林の蓄積(樹木の幹の総体積、いわば森の量の指標)は約3倍に増加したことをご存知だろう。しかし、現代の日本人の大部分は、都市に住んでいるか農山村に住んでいるかを問わず、戦後の混乱と高度経済成長期を経て日本の森は減少し、荒廃していると信じているようである。森が増えていると理解している人でさえ、100年前の劣化していた森の姿を実感としてとらえ、現代の森林関連問題をその頃との比較で議論できる人は少ないように思われる。
私はすでに10年以上にわたり、@かつて日本の森林は江戸時代前期以降極めて荒廃しており、明治中期にはその極に達していたこと、A当時、豊かな森は国土の半分以下にまで減少していたこと、B荒廃の中心はいわゆる里山であり、当時の人々は豊かな森を見ずに暮らしていたこと、したがって、C森林の国土保全機能・水源涵養機能等は発揮されず、儒学者による「治山治水」思想が成立したこと、そして、Dそのような日本の森林がわずか3、40年の間に復活し今豊かな森を取り戻している、等と言い続けてきた。“持続可能な里山”などはごく一部で、“豊かな”イメージでとらえられている里山生態系の実態は荒廃地生態系であるとまで言ったことがある。
それを実感してもらうため、多くの古写真や版画・図絵を引用してきた。ここでは版権の問題もあり、比較的自由に引用させていただいている「岡山県治山事業のあゆみ」(1997年刊)から3枚の古写真を引用する。写真1はいわゆる「はげ山」である。花崗岩類を基盤とする地域を中心に全国にこのような禿赭地(とくしゃち)が分布していた。写真2は里山の一般的な林相と見てよい。地質に関係なくほとんどの里山がこのように劣化した森林?で、瘠悪林地(せきあくりんち)と呼ばれた。このことが知られていないのである。写真3は当時の河川の状況である。このように土砂が流出・堆積している河川は今全国に1つも存在しない。当時洪水氾濫が頻発したこともうなずける。
写真1 | 写真2 | 写真3 |
関連著作:
・「豊かな森」をいかにして持続するか―「荒廃」神話をこえて、都市問題 Vol.98 No.13 48-56、2007.12
・森林の変遷と現代の森林“荒廃”、水利科学No.304 3-28、2008.12(上記レポートを改訂補充)
・里山の真実、全12回、農業協同組合新聞(旬刊)、2007.12より2009.2まで月1回のペースで掲載
・日本の山地・森林の変遷、「全国植樹祭60周年記念写真集 かつて、日本の山にはこんな姿もあった」46-47、国土緑化推進機構、2009.5
・森林の現状をどう見るか、土木学会誌94(11)第28回論説(インターネット版土木学会論説2009.9月版A)、2009.11
・「森林飽和 国土の変貌を考える」、NHKブックス No.1193、2012.7