三保松原の保全

●以下は、グリーン・エージ2015年6月号の特集「マツのある風景を考える」に掲載された文書です。
  

  

白砂青松の松原を次世代に引き継ぐ


はじめに
 2013年の第37回ユネスコ世界委員会で富士山が世界文化遺産に登録された。その際、三保松原は富士山から40キロメートル以上も離れているにもかかわらず、「信仰の対象」、「芸術の源泉」という顕著な普遍的価値が認められて構成資産の一つに加えられた。しかし、三保松原を取り巻く諸条件が変化し、その神聖さ・美しさが損なわれることが懸念されるなど、現在の保全方法には問題があるのではないかとの指摘がなされた。そこで静岡県は2014年6月に「三保松原の松林保全技術会議」を設置し、科学的・技術的視点から適切な対策を検討することとした。筆者も参加したこの会議は熟議の末、三保松原の保全に向けた3つの対策などを盛り込んだ提言書を取りまとめ、同年12月に川勝平太知事に手交した。この提言書には三保松原の景観上の意義、それを次世代に継承する意義、そして保全上の課題とその対策等が示されている。
 そこで本稿では提言書の内容を紹介しつつ若干コメントすることにした。次章以下の多くの部分で提言書の文章をそのまま引用していることをお許し頂きたい。景観ばかりでなく、防災的、保健的、歴史的、文化的価値を持つ松原の保全は全国の海岸地区で喫緊の課題であり、提言書が示す対策はそうした地域でも参考になるものと思われる。   

  

1 三保松原の景観上の意義

 三保松原は日本三大松原の一つに数えられ、駿河湾に臨む砂嘴を豊かな松林で覆い、そこから霊峰富士を望む白砂青松の風致景観は万葉集が編纂されて以降の歌枕として多くの和歌の題材となり、海外にも著名な浮世絵等の芸術作品の視点場となるなどの高い鑑賞上の価値により、すでに90年以上も前から国の名勝に指定されていた。今回、そこは蓬莱山とも称された富士山と人間の世界を結びつける「架け橋」のような場、すなわち富士山への登拝の過程を示す霊地という“信仰の対象としての価値”が新たに認められて世界文化遺産に登録されることが決まった。
 すなわち三保松原は、松林の緑、砂浜と打ち寄せる白波、海の青さが織り成す近景〜中景の美と端整な姿を持つ富士山という遠景の美が組み合わさったことによる単純な景観上の意義だけでなく、富士山を遥拝する神聖な場所に立つという精神的価値が付加された特別な景観としての意義を持つものと言えるだろう。世界文化遺産への登録は人々にそのことを再認識させ、それが人々に三保松林の保全の重要性を改めて認識させる結果となった。
 したがって、世界文化遺産の構成資産としての、また国の名勝としての三保松原の景観を次世代に継承する意義は自明だろう。三保松原の松林の保全は地元民あるいは静岡県民を超えて日本人の責務であり、その成否は日本の文化力を示すことになるものと思われる。   

  

2 三保松原の松林の現状と課題

 現在の三保松原の状況は必ずしも良好ではない。提言書は三保松原の現状認識として次のように述べている(原文のまま)。
 ・三保松原の松林は、潮害や防風、飛砂から住居や農地を守るため、人の手により植えられたマツがほとんどである。また、風で海岸から松林まで砂が流動したり、地域の人々が枯葉や枯枝を燃料や堆肥として利用したりしてきたことで、土壌に栄養分が蓄積せずマツの生育に適した環境が形成され、「白砂青松」の原風景が創り出され維持されてきた。
 ・しかし、砂浜の減少や周辺の土地利用形態の変遷など松林をとりまく周辺環境の変化に加え、生活様式の急激な変化により人々と松林とのかかわりが薄れたことで、土壌の富栄養化や松林の過密化が進むなどマツの生育環境が損なわれてきている。
 ・さらに外来生物であるマツノザイセンチュウによる松枯れ被害(マツ材線虫病)が恒常化している状況である。
・マツ材線虫病については、行政が薬剤散布や樹幹注入、枯損したマツの伐倒駆除などを実施しているが、マツ材線虫病の激烈さや感染メカニズムを十分理解した対応とはなっていない。
・また、現在、地域住民やNPO、企業等により、林床の清掃や松枯れ被害跡地の植栽等が行われているが、その活動は羽衣の松周辺を中心に行われており、各団体間の連携や松林保全活動に必要な情報の共有等が、十分には図られていない。(以下省略)
三保松原はこうした中で世界文化遺産「富士山」の構成資産の一つとなったわけである。提言書は、松原を保全し、その「信仰の対象」、「芸術の源泉」という顕著な普遍的価値を次世代へ引き継ぐことは現世代の責務であるとしている。

一方、提言書は三保松原の保全に関し、その名勝としての鑑賞上の価値や世界文化遺産としての普遍的価値を継承していくためには地域の人々が松林に関心を持ち、その価値を理解し、長期にわたり継続的に保全活動を進めていくことが不可欠であるとして、概略以下のような課題を挙げている。  ・まず地域の人々が松林の現状、改善すべき課題及び保全の意義への認識を高め必要がある。
・また、保全活動の計画から実施状況及びその評価、さらに改善策までを明確に示し、合意形成を図っていく必要がある。
・特にマツ材線虫病被害についてはその実態を把握して早急に対策を進める必要がある。
・併せて、マツの健全な生育環境を損なわせている土壌の富栄養化や松林の過密状態も改善する対策が必要である。
・さらに、「羽衣の松」や老齢大木などの文化的景観の価値が高いマツは、独自の樹形なども含めて永久に引き継がれるように守っていく必要がある。
ここに述べられた松原の現状と課題は多かれ少なかれ全国のマツの海岸林に共通しているものと思われる。   

  

3 松林保全に関する基本方針とゾーン区分

 以上のような現状認識と課題を踏まえ、提言書は松林保全に関する基本理念と基本方針を示している。すなわち、基本理念を「自然に調和した科学技術を磨きつつ、人とのかかわりにより松林を守り、育て、活かしていくことによって、名勝及び世界文化遺産としての三保松原の風致景観及び顕著な普遍的価値そして海岸防災林としての機能を次世代に引き継いでいく」として、8つの基本方針を掲げた。
まず、三保松原の松林といっても場所によってそれが発揮する機能は異なるので、風致景観及び海岸防災林機能を考慮してゾーン区分を行い、その区分に応じてそれぞれ目指すべき松林の姿を描き、それを関係者が共有し、それに適した保全・管理方法を決めることとした。
具体的には対象地域を大きく二つに区分した。一つは世界文化遺産「富士山」の構成資産を中心とした区域で、マツと海岸と富士山を組み合わせて人々に感動を与える空間とする「風致景観・文化創造ゾーン」。もう一つはそれを取り巻く緩衝地帯で、人々の生活と密接に関連したマツ(庭木のマツなど)との共生空間とする「営み(松林共生)ゾーン」である。そして、前者では連続した、美しさと神聖さを持った松林及び防災機能を発揮する松林として保全・管理し、後者では人々の日常の生活の中で保全・管理することとした。
さらに前者の中に老齢大木保全ポイント(特に人々に感動を与える空間)を配置し、そこでは三保独自の樹形を引き継ぐ荘厳で美しいマツとして保全し、さらにその中に信仰・伝承ポイント(「羽衣の松」「神の道」等と一体的に神聖さを醸しだす空間)を置き、そこではマツの長寿命化を目指した保全を行うこととした。   

  

4 松林保全の基本的対策

 提言書が示す松林保全対策の基本方針は3つに分けられる。仕組みづくり・人づくりとマツの生育に適した環境づくりとマツ材線虫病被害の微害化である。

1)松林を守り、育て、活かす仕組みづくり・人づくり
 提言書は対策の第一に仕組みづくり・人づくりを掲げた。まず、より多くの地域の人々が松林に関心を持ち、継続して保全活動に積極的にかかわり、松林を適切に次世代に引き継いでいく新たな「マツ林と人とのかかわり(松林との共生)」が生まれ、根付いていくことが何よりも大切である。そのためには、その時々の生活様式に即した形で地域の人々が松林にかかわることができる仕組みづくり・人づくりが不可欠である。その対策として以下の4項目が挙げられた。
 @人とのかかわりの中で松林を保全し、次世代へ継承していくための拠点として「三保松原保全センター(仮称)」を設置し、三保松原や松枯れ被害に関する情報の収集と発信、保全活動の支援、地域の人々との連携・協働の促進、人材育成、歴史や文化の伝承、松林のモニタリング等を担う三保松原保全員(仮称)を配置する。
 A三保松原を愛し、マツを大切にする気持ちを醸成し、鑑賞上の価値・顕著な普遍的価値・マツの保全技術等を引き継いでいくための人づくりへの取り組みを進める。例えば、松林を愛する運動、教育機関の授業や祭りなどの地域行事と結びつけた保全活動、環境教育等の展開や、三保松原の文化的価値・顕著な普遍的価値等を伝える人材、保全活動のリーダー、樹木医や松保護士などの専門技術者の育成などが考えられる。
 Bマツの健全な育成を確実に実行する管理体制を構築するための取り組みを進める。例えば、(a)マツの生育状況のデータベース(カルテ)化、(b)地域の人々と連携した監視・通報の仕組みづくり、(c)松林の健康状態を判定する基準のマニュアル化、(d)マツに異常が発生したときの速やかな原因究明・対策実施の仕組みづくり、(e)外部専門家等と連携する仕組みづくりなど。
 C松枯れにはマツ材線虫病のほかにも強風害・塩害・病虫害・過密による被圧・根元への踏圧などさまざまな要因があるので、原因を適確に調査・把握して適切に対策を進める。また地域の人々に松枯れの原因と対策について正しく認識・理解してもらい、協力を得る。

2)マツの生育環境の改善
 土壌の富栄養化や閉鎖的環境など、マツにとっての生育環境の悪化は三保松原に限ったことではなく、全国の海岸の松林で起こっている。したがって三保の松原だけでなく、そうした松林においても土壌の貧栄養化対策や開放的環境の回復は松林保全対策の柱であり、提言書でもこれらを重視している。
 提言書はまず<マツの生育に適した土壌環境づくり>として、土壌の富栄養化を阻止するため、落ち葉掻き等により林床を清掃し、雑草・雑木を除去することを挙げた。これによりマツとマツ固有の菌根菌との共生関係の促進が期待されるのである。また<松林の健全な育成>として概略以下のような対策を示した。これらの対策のほとんどは全国の海岸の松林の保全対策にも適用可能なものであろう。
 ・マツの生育状況及び周辺環境を調査・把握・評価し、その変化をモニタリングする(生育状況のデータベースに反映)。
 ・目指すべき松林の姿を実現するため、ゾーン区分に応じた立木密度管理の指針や基準等を作成する。
 ・この指針や基準に基づき、被圧木の除去等を行い適正な立木密度を維持する。
 ・松枯れにより生じた空間には三保独自の樹形を継承するクロマツの苗木(老齢大木保全ポイント用)や地元静岡県由来の抵抗性クロマツの苗木を育成し、植栽する。
 ・将来的には林帯幅を確保するとともに、海から砂浜、そして松林へとつながる開放的な環境の回復を目指す。
 ・観光客の多い信仰・伝承ポイントでは、根への踏圧の解消、排気ガスによるマツへの影響を回避するため、木道の設置や交通車両の乗り入れ規制等の対策を進める。

3)マツ材線虫病被害の早期微害化
 マツ材線虫病は三保松原の松林でも猛威を振るってきた。防除対策は実施されてきたが、病害が完全に収束する気配は無かった。三保松原の松林保全技術会議は実質的にはマツ材線虫病の防除方法を検討する会議であった。防除対策の専門家が多数参加した会議では、防除法について、病害の原因追求から具体的対策までを改めて議論した。結論は、すでによく知られているように、この病気の激烈さと感染メカニズムを十分理解し、防除を徹底することにより早期に被害を微害化することが重要であるというものである。そしてこのことが被害拡大による松林全滅のリスクを低減し、松林の持続性を確保し、ひいては将来、薬剤の使用を極力減らした保全・管理方法への移行の可能性を高めるとした。
 早期微害化対策では、三保松原の被害の実態をもれなく把握し、被害木を確実に伐倒駆除し感染源を絶つことが最も重要であり、三保半島全体にわたり一斉に徹底した駆除対策を実施する必要がある。そのためには被害木を早期に発見し駆除する体制づくりと、防除作業が容易且つ確実に実施できる管理道の基盤整備が不可欠になる。提言書は微害化の目標として、「5年以内にマツ材線虫病被害2本/ha・年以下とすること」及び「最終的には1本/ha・年を目指すこと」を提案している。具体的な早期微害化対策を以下に示す。
<被害対策の体制づくり>
@松枯れの発生したマツの発見・伐倒駆除を確実にするため、地域住民等と連携した監視体制の強化やマツの専門職員等の配置を行う。
A徹底した対策を継続的に実施するため、マツ個体のデータ収集と管理を行う。
B被害の早期微害化に向けた目標を設定し、被害量の正確な把握、専門家をまじえた対策の評価、改善を継続的に進める、などを提案している。
<防除の確実な実施>
@カミキリが生息するマツの先端部に、より少ない薬剤を効果的に散布できるラジコンヘリコプターによる薬剤散布を導入する。
Aラジコンヘリコプター画導入できない区域は高所作業車等を活用して丁寧な地上散布を実施する。
B松枯れの監視や防除作業を容易かつ確実に実施するため、林内管理道を充実させる。
Cカミキリが羽化する前に枯れた松を伐倒し、すべての枝から幹を林外へ運び出し、焼却処分等による駆除を徹底する。
D老齢大木などの特に大切なマツを守るため、樹木医などの専門家の助言を求め、樹幹注入などの対策を行う。
E三保松原の周辺からのカミキリの侵入による感染を阻止するため、三保松原の周辺地域について、マツの所有者等の協力を得ながら、マツ以外への樹種転換等の対策を進める。
以上の6項目を挙げた(以上ほぼ原文のまま)。
このうち@ABは薬剤散布を確実にするためのものである。過密な林分や広葉樹と混交した林分では松枯れの確実な監視や薬剤の確実な散布が困難なので特に注意が必要である。Cも徹底して行われない場合が多いと会議では特に指摘があった。また、Eを確実に実施するため、前述のゾーン区分において「営み(松林共生)ゾーン」を設置したのであるが、三保半島の残りの地区にも適用することが望ましいだろう。
なお、提言書はマツ材線虫病の発生メカニズムと防除対策の関係についてページを割いているが、ここでは割愛する。   

  

おわりに

 以上のほか、提言書では新たな松林の在り方の実現に向けた取り組みとして、マツに有益な菌根菌との共生を促進する自然にやさしい手法の開発や三保松原保全センター(仮称)を拠点として松林内外の将来の環境変化に備えた「順応的管理」を実行していくことを提案している。また、将来は薬剤への依存度を極力減らした保全対策へ移行することを目指すべきだと主張している。
 最後に提言書は、まず行政が「保全を徹底して行う」という強い意志を持って情報の発信や保全計画の作成に取り組み、地域の人々は行政等と協働して能動的に保全活動に取り組むことにより、この提言の実行性を確保して欲しいと述べて締めくくっている。
 本稿では三保松原の松林保全技術会議が公表した提言書の内容を紹介した。富士山を遠景とする“白砂青松”の三保松原は「マツのある風景」の代表格である。三保松原の海岸の砂は実際には“白砂”ではなく、そこではいまや全国の海岸に共通する海岸侵食問題も起こっている。したがって、三保松原の保全にあたっては海岸侵食対策も重要な課題であり、別の対策会議が設けられたと聞く。
 海岸林の保全に関しては本誌でもたびたび採り上げられているが、本提言書は簡潔に書かれており、理解しやすい。誰でもダウンロードできるので、海岸林の保全に関心がある方にはお薦めしたい。

○三保松原の松林保全に向けた提言書〜霊峰富士を望む白砂青松の美しい松原を次世代に引き継ぐために:
 www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-730/documents/teigen.pdf   

トップページへ戻る inserted by FC2 system