水循環基本法と森林整備

●以下は、河川 2014―8月号「特集・健全な水循環の構築に向けて」 に掲載された文書です。
  

  

森林整備面から見た水循環基本法の制定


1.森林の変遷と森林の水源涵養機能

 わが国の森林の大部分は河川/流域の上流部の山地に存在する。山地は下流の平地に比べて降水量が多く、水源(山)地と呼ばれるように、水循環における地下水・河川流出水の涵養域となっている。私たち日本人は歴史時代の大部分を通じ、森林を利用してその社会・文化を発展させてきた。例えば江戸時代中期の日本の人口は3000万人であったが、それは当時の世界人口の5%を占め(人類の20人に1人は日本人だった)、可住地が狭いにもかかわらず我が国は世界トップクラスの人口大国であった。その多数の人口を支えた最大の資源は森林生産物であり、私たちの祖先は森林を目いっぱい利用して近代以降の発展の基礎を築いてきたのである。
 その結果、いわゆる里山を中心にはげ山や森林が劣化した「荒廃山地」が出現し、大雨の際には表面侵食や表層崩壊が多発し、土石流を含む土砂災害や洪水の氾濫/水害が人々を苦しめた。その一因が林地での雨水浸透能力の低下、すなわち涵養域での健全な水循環の破壊であり、その影響が下流域にまで及んだのである。そのことに気付いた熊沢蕃山ら当時の識者は「治山治水」の必要性を説き、以来、水源山地での森林保護と植栽が奨励され、それは現代の森づくり運動においても重要な根拠とされている。
 筆者の弱年時代は水源林造成事業が盛んであったが、その目的は豊かな森林土壌を回復させることだと教えられた。それは、林業界では腐食を多く含むA層を中心とした豊かな森林土壌の再生で木材生産にとっても有利と受け取られたが、実際には落葉落枝や下草の形成によって雨水浸透能力を向上させる点が重要で、これが森林による水源涵養機能発揮の核心である。なお、当時の治山・砂防の分野では、土砂の流出やそれによる渓床/河床の上昇が土砂災害や水害の一因であるところから“流域一貫”の対策という言葉が盛んに用いられた。
 その後半世紀を経て、現在日本の森林はほぼ往時の豊かさを取り戻している。その理由としては治山・砂防事業の進捗や造林事業の成果、いわゆる燃料革命・肥料革命など多々挙げられるが、高度経済成長/列島改造時代以降の平地での森林の減少を打ち消すように荒廃山地で森林が回復したので、日本の国土面積に占める森林面積の割合は過去100年以上ほとんど変化していないにもかかわらず、森林の蓄積は森林が最も劣化していた明治時代中期に比べて、少なくとも3倍以上に増加している(太田、2012)。その結果、森林の水源涵養機能も本来の我が国の山地森林が持っていた機能をほぼ回復させている。   

  

2.森林から見た流域管理と水循環

 この間、洪水対策や水資源開発、さらには水質汚濁問題の浮上によって「流域管理」という言葉がよく使われるようになった。その概念には共通部分があるが、管理の対象はそれぞれの分野が所掌する範囲内であり、異分野を統合した流域管理の試みはほとんど現れなかった。それでも森林・林業の分野では、林業の不振によって間伐が遅れた水源地の森林の整備と下流住民からの水源の水質保全への要請が結びついた、「水源基金」を介した上下流交流が流域を単位として生まれてきた(注1)。
 平成の時代に入ると、森林の各種多面的機能の下流部住民や海への効用に対する理解が深まり、「流域」あるいは当該流域が影響を及ぼす沿岸海域を含めた「流域圏」での水循環/物質循環を意識した森・川・里・海の連携の運動が生まれた。筆者も三重県の宮川流域でこのような連携を進める第一歩として、まず流域に基盤を置く森林・林業、河川管理、農業・農業用水、上下水道、漁業などの各分野が互いに他の分野の仕組みや現状を理解し、さらにそこに都市の住民が参画することを願って、すべての分野に参加して頂いて流域環境読本を作成した(太田他、2005)。しかしながら当時も現在も関連分野が集合するだけの「連携」の域を出ていない。漁民や都市住民の森林保全活動や林業支援などは盛んになってきているものの、全体としては関係者が集合し互いの情報を交換し始めたというのが実情である。
 一方で持続可能な社会における国土の管理は、流域又は流域圏を基本単位とした自然的及び人為的な水循環、物質循環、さらにはエネルギー利用を統一的に管理する方法で行われる必要があろう。
 こうした中で自然の物質循環の大部分を支配し、さらにエネルギー問題にも大きく影響する水循環を健全に維持しあるいはその健全性の回復を図る目的で関連各分野の施策を総合的かつ統一的に推進する水循環基本法が成立したことの意義は極めて大きい。治水や水利用面で縦割り行政の弊害が指摘され始めてすでに久しいが、本法の成立はそれを打ち破り合理的な水の保全と利用を実現させる第一歩と歓迎したい。あるいは上述したような合理的な国土管理を推進して持続可能な社会を実現させる第一歩となるかもしれない。理念の実現が強く望まれる。   

  

3.水循環基本法の下での森林整備

 水循環基本法はその前文で「我が国は、国土の多くが森林で覆われていること等により水循環の恩恵を大いに享受し」として、健全な水循環における森林の役割の重要性を特筆している。また、基本的施策の第一に、流域における水の貯留・涵養機能の維持及び向上を図るため、雨水浸透能力又は水源涵養能力を有する森林を整備する必要性を謳っている(第14条)。改めて謳うまでもなく、流域の上流部を占める水源山地でのいわゆる「森林の水源涵養機能」は森林の持つはたらきの中でも特に重要なはたらきの一つであり、それも含めた各種多面的機能発揮のための森林整備の必要性はすでに国民にも広く受け入れられているところである。従って、水循環基本法の成立は、健全な水循環の維持・回復の視点から国、地方公共団体、事業者等そして国民に、森林の整備についてより一層の支援をうながしているものと解釈したい。
 しかしながら、水源地における森林の整備とは「山地に木を植えることだ」、「木を大きく育てることだ」と短絡しないで欲しい。健全な水循環における森林の役割の第一は地表の雨水浸透能力を高めることであるが、最初に述べたように我が国の山地はすでにほとんど森林で覆われている。まだはげ山や劣化した森が広がっていた半世紀前と比較すると、すでに雨水浸透能力はおおむね回復している。従って健全な水循環の面からは、間伐が遅れたためやシカなどの食害によって地表の植生が消滅しているような特殊な林地での雨水浸透能力の回復という、よりきめ細やかな森林整備が必要である(注2)。
 実は大きく育った樹木、鬱蒼と茂った森林は、枝葉が降雨を遮断蒸発させる作用と光合成に伴う蒸散作用で水を消費し、水収支の面からは地下水涵養量を減少させてしまう。従って水資源利用の面からは遮断蒸発や蒸散に関係する樹冠すなわち森林の地上部はできる限り小さくする方がよい。つまり成長した樹木は伐採した方がよいことになる。言い換えれば、伐採の際に地表を攪乱し裸地化させることがなければ、間伐だけでなくむしろ皆伐を行う森林整備が水資源利用面からは推奨されることになる。結論を言えば、現代の水源林では適切な林業を行うことが望ましく、森林の木材生産機能と水源涵養機能は両立するのである(注3)。かつての荒廃山地での水源林造成のように裸地に森林を造成して雨水浸透能力を回復させる森林整備とは異なる新感覚の森林整備が必要である。   

  

4.森林整備を進めるには

 一般に森林の整備は、例えば水源涵養機能という単一の機能の発揮にのみ着目して行うのは得策ではない。むしろ失敗する場合が多い。2001年に制定された森林・林業基本法はその第2条で、「森林については国土の保全、水源の涵養などの森林の有する多面的機能が持続的に発揮されるように適正な整備及び保全が図られなければならない」としている。例えば、水資源利用面で皆伐が有利だとしても、急斜面上で森林を大面積に伐採すれば豪雨の際に表層崩壊が発生する。従って、水源涵養機能の発揮を目指す水源山地の森林の整備であっても、実際の整備は自然的立地条件や社会的条件を検討して森林の多面的機能を総合的にかつ最も効果的に発揮させる方法で行うことになる。具体的には山地災害防止を主とした国土保全機能や絶滅危惧種や稀少種を保護する生物多様性保全機能の発揮を優先し、持続可能な木材生産を組み込んだ上での水源涵養機能の発揮を目指すことになるだろう(注4)。
 このような望ましい森林整備を実施するには相当の技術と人と財源が必要である。技術的には森林・林業基本計画の下でフォレスターの協力を得て策定される市町村森林整備計画で当該山地がおもに発揮すべき機能を科学的にゾーニングし、各種多面的機能を合理的に発揮させる森林整備を行うことになる。人については、山村において林業生産活動が継続的に行われることが適正な森林の整備及び保全にとって重要であり、まずは林業の振興、そのための定住の促進、技術者の確保を進めなければならない。
 一方財源については、従来の山村振興予算、林業振興予算等の行政支出に加えて、近年いわゆる森林環境税と呼ばれる森林整備財源が確保されるようになった。古くは水道水源保全基金や一般的な水源地対策としての水源基金のみであったが、高知県での森林環境税の創設(2003年度実施)以降、水源林としての森林の整備に加えて生物多様性の保全を含む各種環境保全機能発揮のための森林整備(市民の森林保全活動や都市域での緑地整備を含む)の財源として使われている。
 この点に関して筆者は以下のように主張してきた。もともと太陽エネルギーによる光合成生産に基礎を置く農業や林業は投入しうるエネルギーに限度がある。一方地下資源を利用し、すべての工程で人工的に生産する工業は技術の向上によって投入する資源・エネルギーを大幅に増加させ、大きな付加価値を加えて高い生産性を確保した。また工業製品に基礎を置く都市活動も基本的に高い生産性を確保できる。したがって、農山村の生産性は都市の生産性に及ばない。しかし、その農山村の営みが都市を含む地域や地球の環境を保全し、一方で工業生産や都市活動が地球温暖化などで環境に悪影響を与えている事実が重要である。このように考えると、農山村の振興にこれまで以上に国の財源を振り向け得る理由がうなずけるであろう。「農山村は社会的共通資本」という経済学者の言もある。財源が不足なら、例えば炭素税を創設してでも行うべきと思っている。その具体的一例として森林だけでなく、農地、さらに河川の整備が水循環基本法の成立で財政的にも推進されることを期待したい。   

  

5.水循環基本法と森林・林業基本法

 水循環基本法の発案は2008年にさかのぼるようだが、その後に起こった外国人による森林の買収が健全な水循環に悪影響を及ぼすのではないかという懸念が本法制定の背中を押したようである。その懸念の根拠は、民法第207条の規定によって森林という“土地”の所有者がその土地に帰属する地下水などを比較的自由に利用できることにあった。
 同じ水であっても河川水については河川法の第2条で、「河川は公共用物であって、(中略)河川の流水は、私権の目的となることができない」とされている。そのため、公物の面も持つ地下水についても同様に取り扱うべきだとの意見があることは以前より聞いていた。しかしながら水循環基本法では、水は「国民共有の貴重な財産であり、公共性の高いもの」(第3条)とされ、河川以外を移動する水を河川の流水のように取り扱うまでには至らなかったようである。すなわち、所有権が強く尊重されたためなのか、水が帰属する土地の所有者の責務についての規定はなく、事業者(土地所有者の場合が多いであろう)の責務を規定するだけに終わっている。
 一方森林については、同様に土地所有者に帰属するものでありながら、その取り扱いについて森林(という土地の)所有者の責務が森林・林業基本法に規定されている。そこでこのあたりについて水循環基本法と森林・林業基本法を比べてみた。
 森林・林業基本法では第9条で「森林所有者等は基本理念にのっとり、森林の有する多面的機能が確保されることを旨として、その森林の整備及び保全が図られるよう努めなければならない」とされているのに対し、水循環基本法では第6条で「事業者は、その事業活動に際しては、水を適正に利用し、健全な水循環への配慮に努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する水循環に関する施策に協力する責務を有する」とされ、大差はないものの、前者の方が具体的な努力を要請されているように見える。また、森林の保全と水循環の保全に対する国の施策について比較すると、森林・林業基本法では第13条で土地の形質の変更の制限、土砂崩壊の防止、災害復旧のための事業の推進、森林病害虫の駆除・万延防止などの施策の実行を具体的に挙げているのに対し、水循環基本法では第15条(水の適正かつ有効な利用の促進)の後半で、水量の増減、水質の悪化等水循環に影響を及ぼす水の利用等に対する規制措置を講ずるとしている。すなわち、後者は主に水を利用する場合の規制にとどまっているように見える。
 水循環基本法の制定に先立ち、水源地域保全条例(水資源保全条例)が各地で制定された。ある報告(吉原、2014)によればそれらのすべてで土地所有者等の責務が規定されているという。しかし筆者の感触では、多くは適正な土地利用に配慮することを謳うか、森林の所有者のみに森林・林業基本法の規定を援用しているように見受けられる(長野県の条例のみ、すべての土地所有者に「水資源の保全に支障を及ぼす恐れのある行為をしないように努めなければならない」としている)。また一部の県で事業者の責務を規定しているが、それらは水循環基本法と同様の趣旨で、水源地域の保全に配慮することを求めている(山形県の条例は「事業活動が水資源の保全に影響を及ぼす恐れのあるときは、水資源の保全に自ら努める」こととしている)。
 森林の水循環に対する作用は、樹冠が水収支の面で地中の深部(多くは基盤岩内)に到達する水量を減少させる作用と、下草やA0層を含む土壌層が降水を地中に浸透させる作用とからなる。しかし、その作用は通常地中の深部までは及び難い。また、森林の水源涵養機能は森林単独で発揮されるものではなく、流域の地形、地質、気候条件など自然環境の構成要素と森林との複合作用によって発揮されるものなのである。したがってこの観点から、地下水を直接対象とする行為は地表の土地利用や森林の取り扱いを規制してもその効果は少ないものと思われる。
 以上より、法律の世界を知らない者が手元の資料に目を通してのみの感想であるが、水循環基本法においても土地所有者に対して健全な水循環を維持・保全する責務を明示的に規定すべきであったと思われる。所有権に関わる私権の制限は難しいと言われるが、筆者が関心を持つ土砂災害防止法では安全のためとは言え私権を制限する規定があると指摘した人もいる。

(注1)さらに林業界では流域管理システムという施策が実施されたが、これは水循環に直結する施策ではなかった。
(注2)過酷な気象条件や地質条件、まれな自然現象等によって裸地化した山地に植林するのは当然である。
(注3)林地保全に配慮した適切な伐採を行えば、林地の雨水浸透能力は維持されるので洪水緩和機能を大きく損なうことはない。
(注4)もちろん、森林法に基づく保安林制度や林地開発許可制度など既存の制度を適切に運用して、森林の保全に努めることは言うまでもない。


参考文献
太田猛彦、2012、『森林飽和―国土の変貌を考える』、NHK出版、pp.254
太田猛彦、2005、『宮川環境読本』、東京農大出版会、pp.224
吉原祥子、2014、水循環基本法を読み解く、東京財団レポート   

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