役立つように創りかえられた日本の森
あらゆる樹種の中で最も有用な樹種がスギとヒノキであった。これらの樹種の特徴は、まず軽いので運搬が比較的容易である。また、軟らかくて通直で加工がしやすい。その上、植栽に適し、成長も早い。したがって、建物や船、家具だけでなく桶や樽などの日用品にも多用され、天然のものが枯渇すると人工植栽が進み、暖温帯に広がる常緑広葉樹林の中にも植栽されたのである。しかし、広葉樹林の中にスギやヒノキを植えれば、最初は草本、続いて潅木や広葉樹に負けてしまう。そのため、下刈り、除伐、蔓切りなど手間のかかる保育が必要だったが、その有用性が勝ったため、半世紀前までスギ・ヒノキ人工林を拡大させたのである。
一方いわゆる里山の森も農用林、生活林、薪炭林として人々の暮らしに不可欠であった。そのため人口の増加による里山の森の劣化は深刻だった。何しろ木を伐り尽くしてしまえば更新木が成長するまで待たねばならない。そこで更新が容易で成長が早い樹種として選ばれたのが、クヌギやコナラなどの落葉広葉樹であった。これらの樹種は20年もすれば伐採・収穫でき、種子量も豊富で萌芽更新も可能であり、かつ燃料材や堆肥原料としても良質であったので、常緑広葉樹林地帯でも植えられたのである(なお、落葉や下草の採取が頻繁に繰り返されると土壌は貧栄養化し、広葉樹類は育たなくなる。そのような場所がマツ林や潅木の茂るはげ山や原野である。江戸時代以降、全国的にマツ林が優勢になり、各地にはげ山が出現したことは周知の事実であろう)。
結局、江戸時代後期の日本の平地や里山の森林は、例えば潜在自然植生が常緑広葉樹林であっても、スギ・ヒノキの人工林、クヌギ・コナラの雑木林、あるいははげ山や原野と呼ばれる植生に変化していた。これが3千万人という人口を支えた森の姿であった。あるいはここまで使い込んで維持し得た人口が3千万人だったとも言えるだろう。それが歌川広重の浮世絵や各地の名所図会、さらには古い写真に写っている里山である。しかし見方を変えれば、江戸時代の繁栄と文化を支えるために作りあげた、極限までに合理化された森林の姿、自然の姿であり、人々に目いっぱい役立っている日本の森の姿、自然の姿だったとも言えるだろう。
持続可能な社会における森林利用の価値
20世紀後半に私たちは里山を放棄した。また、スギ・ヒノキ人工林の利用も落ち込んでいる。その代わりに利用しているのが地下資源であり、その中心が石油やその他の化石燃料である。
本年4月にIPCCの第5次評価報告書が出揃った。それによると、世界の平均気温は産業革命以前に比較して現在までに0.85℃上昇しているが、上昇量が2℃に達すれば、地球温暖化は世界経済にも重大な影響を及ぼすほどに深刻化すると評価された。そして、気温の上昇量は産業革命以降(1870年基準)に排出した温室効果ガスの累積排出量に比例し、すでに現在までに炭素換算で515GtC排出したとされる。すなわち、2℃上昇を温暖化の許容限界とすると、累積排出量は概算820GtCが上限となり、全人類に今後許される排出量の総量は約300GtCとなる。これを現在の排出量10GtC/年で割り算するとわずか30年の余裕しかない。この結果は30年後以降も現在の、あるいは京都議定書の基準年となった1990年の排出量が許されるというのではなく、排出量を0にする、すなわち化石燃料は一切使えないということを意味するのだ。地球温暖化はこれほどまでに深刻なのである。
私はこれまで、私たちが住む地球表面の現環境は、地球誕生時には大気中に大量にあった二酸化炭素を46億年にわたる地球表面の環境進化の過程で地下に封じ込めて形成されたものであり、その中で生物は進化し、人類も誕生した。したがって、地下から化石燃料を取り出し、それを消費して二酸化炭素を大気中に排出することは地球の進化の方向に逆行する行為であると言ってきた。その行為の許される範囲が量的に決められるほどに地球温暖化は解明されたと受け取れる。
したがって、地上資源を循環利用することの重要性は計り知れない。その代表が森林資源の循環利用である。かつての日本人はそれを極限まで利用していたのである。その結果、土砂災害や洪水氾濫を招き、「治山治水」は日本の国是となったが、それを克服し森林資源を充実させた現在、今度は持続可能な形で森林資源を利用し、低炭素社会に貢献することは日本人の使命である。しかし、人々の多くはこのような森林の現状を知らず、森林の劣化していた時代に植えつけられた「木を大切に」、「木を植えましょう」という思想と生物多様性保全の掛け声に押されて、持続可能な社会で適切に木を使うことの重要性を理解していない。私たち森林・林業関係者はさらに声を大にしてこのことを発信しなければならない。
翻って、森林・林業の現状を見るに、実は資源のごく一部を利用しているに過ぎない。かつては落葉や下草や枝葉まで目いっぱい利用していた。現在は幹の一部を材木として利用しているに過ぎず、チップ利用も多くはない。もともと資源の一部を利用するだけで儲かるほど強力でないのが森林資源の性質かもしれない。その代わりに森林は水源涵養機能などの多面的機能を持っているのだ。歴史的には品薄の時代が続いたから儲かっていただけなのだ。したがって、伐り捨てされる間伐材利用だけでなく薪炭材や落葉その他の林産物ももっと活用すべきなのかもしれない。バイオマス発電だけでなく、薪ストーブの利用、堆肥利用もさらに推進していく必要があるだろう。持続可能な社会を考えれば、特に山村や中山間地と呼ばれる地域では炭素税で助成してでも森林資源の利用を拡大させる必要がある。保護する森を決めて生物多様性を保全することももちろん大切だが、一方でこの事実をもっと国民に訴え、再生可能な循環資源としての価値を知ってもらう必要がある。
私たち日本人は、「人工林が荒れている」、「里山が荒れている」と言われ続けてきた日本の森を潜在自然植生に戻してただ眺めていればよいというわけにはいかないのだ。